Wranglerの歴史

今の若い人には、あまり馴染みのないブランドかもしれませんが、今日はWranglerについて書いていきたいと思います。

Wranglerは、Levi's、LEEと並ぶアメリカのジーンズ三大ブランドの一つです。カウボーイジーンズとしても有名ですね。理由は、これからご紹介する歴史をみていただければと思います。

Wrangler

wranglerという名前がつけられ、実際に設立されたのは、1943年からですが、創設者の背景もご紹介したいので、1987年から。

1887年
テネシー州イリアム村群スプリングヒルズファーム育ち、当時20歳だったC.C.ハドソンは、仕事を探しに生地の生産で有名なノースカロライナ州グリーンズボロに向かいました。オーバーオールの工場で、ボタンの縫い付ける仕事をもらうことができたのですが、1日働いて25セントだったそうです。

1904年
工場が潰れてしまい、職を失います。そして、ハドソンは、弟のホーマーと数人の仲間で、ミシンを数台購入し、ハドソン オーバーオール カンパニーを設立します。場所は、サウスエルムストリートにある食料品店の屋根裏部屋でした。

1919年
ハドソンたちは、売上順調に業績を伸ばし、社名をBlue Bell Overall Companyと改め、自社の工場まで持つようになりました。

1926年
Big Ben Manufacturing of Kentuckyに買収されましたが、当時物凄く人気のあったBlue Bellの名前はそのまま残りました。

1934年
グローブ・スペリアー・マニュファクチュア社がJ.C.ペニーのハウスブランド「ビッグマック」において、世界で初めて「サンフォライズド加工(防縮加工)」のワークウェアを生産。それまでのデニム生地は約10%の縮みがあったが、この新素材は1%の縮みしかなく、生地を最大限効率的に使うことができるようになった。


1936年
ブルーベル・オーバーオール社とグローブ・スペリアー・マニュファクチュア社が合併。ブルーベル・グローブ・マニュファクチュアリング社となる。当時、両社ともワークウェア市場で人気の二大メーカーであり、この合併は新聞で「ワークウェア業界の国営製鉄所」と称された(世界一の売上高を誇るワークウェアカンパニーとなる)。
サンフォライズド加工のデニムを使用した「スーパー・ビッグベン・オーバーオール」を生産。これは単に縮まないデニムを使用したワークウェアであったというだけでなく、「プロポーションド・フィット」というラングラー独自の革新的なアイデアによって、これまでのワークウェアにおける胸当て部分の均一な大きさに悩む労働者たちを解放することになりました。このワークウェアは、それまでのワークウェアにもあった股下部分のサイズ展開だけでなく、股上・胸当て部分のサイズ展開も始めました。

1937年
C.C.ハドソン、死去。

1943年
ワークウエアの生産をしていたCasey Jones Companyを買収し、Blue Bellに社名を改めました。当時、Casey Jones Companyは、Wranglerの商標を持っていました。

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1947年
Wranglerのオーセンティック・ウエスタンジーンズが、セレブ・テイラーのロデオ・ベンによってデザインされました。今まで、ワークウエアのみの企画製造から、ウエスタンウエアへの企画、製造も始めました。サドルを傷つけないようリベットの突起をなくしたり、サドルに座りやすいように股上を浅くしました。また、ウエスタン独特の大きなバックルが装着しやすいよう、前面のベルトループの幅が広くもしました。彼らのジーンズ、13MWZは、そのオーセンティックなつくり、耐久性、そしてクオリティーの高さから、ロデオライダーのジム・ショルダーズ、ビル・リンダーマン、フレックルズ・ブラウンに推奨されました。

1948年
ジム・ショルダーは正式にWranglerと契約しました。その年、16個のチャンピオンシップの内の5回を獲得し、この功績が、更にWranglerをカウボーイジーンズとして有名にしました。

1962年
Blue Bellは、新しくベルギーに工場を建て、これを機にWranglerはヨーロッパ進出を果たしました。以後、10年間でWranglerは、マルタ島、イギリス、カナダに工場を設立。

1964年
ブロークン・デニムを開発しました。ブロークン・デニムとは、特殊な織り組織によりシームのねじれを防止した生地で、生地表面に出るヨコ糸=白い糸の量が少ないので、ブルーの色が鮮やかに見えるなどの特徴があります。また当時、ジーンズにのり付けしてアイロンをかけ、折り目を付けることがカウボーイ達の間で流行っていたので、ブロークンデニムはのり付けしやすく、彼らの「パリッとして、こぎれいなジーンズのはき方」の作法にも応えました。

1974年
Pro Rodeo Cowboys AssociationがWranglerと公式契約しました。

1982年
Wranglerは、アパレルカンパニー初、NASCARドライバーDale Eaenhardtになりました。この年、DaleはNASCAR初勝利、そして生涯7回の優勝の内、初勝利を含め3回の優勝をしました。

1986年
Blue BellはVF Corporationと合併。この合併で、VFはマーケットシェア6000億円の25%のシェアを持つことになりました。

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